2010/09/26 ●まぼろしの空中電車
読売新聞夕刊(9月25日(土))の記事
梯久美子の廃線紀行 姫路市モノレール「次世代交通 夢の残骸」
こ、これはもしや・・
最近夢に出てくる「空中電車」では??
幼いころ唯一いってもいい家族旅行で姫路に行った思い出があるのですが、
そこで乗った乗り物が最近になって夢に出てました。
高い建物のおなかの中から電車が空中に出ていくイメージです。
ベレー帽をかぶった幼い私は親父に抱きあげられて下の街を見せられ
怖いけれど空を飛ぶような感覚を味わいました。
まさに「空中電車」です。
かなりの間すっかり忘れていたのですが、
実際姫路に行ってもそのようなものは無いので、
てっきり幻だと思っていました。ところがあったんですね。
姫路モノレール(出典:Wiki)
兵庫県姫路市の姫路駅から同市の手柄山にあった手柄山駅までを結んでいた鉄道(モノレール)路線(廃線)。1966年に開業したが営業不振などにより1974年休止、1979年廃止となった。
# 路線距離:
* 線路延長: 1,824m
* 営業キロ: (たったの)1,630m
# 方式:跨座式(ロッキード式、軌道桁断面幅 900mm)
# 駅数:3駅(起終点駅含む)
1966年、手柄山で開催された「姫路大博覧会」(以下、姫路博)会場への輸送機関という名目で、姫路(仮)駅 - 手柄山駅間を先行開業させた。総工費14億5千万円と8ヶ月の工期を要した。当初は姫路博の開幕(4月6日)に先立つ4月3日の開業予定であったが、姫路駅予定地の立ち退き交渉に手間取ったこと、台風や集中豪雨の影響もあって姫路博開幕には間に合わず、会期後半の5月17日になってようやく開業した(姫路博終了は6月5日)。これに続けて飾磨・広畑の臨海工業地域まで路線を延ばすことが検討され、さらに市内に環状路線を建設し、日本海側の鳥取まで路線を延伸する壮大な構想が立てられていたという。
しかし、運行距離が短く、終端が山上の都市公園内という立地もあって、姫路博終了後は利用者が激減。開業初年度の利用者数は402,967人だったのが、翌年(1967年)度には334,517人、翌々年(1968年)度は245,718人と、当初予想の100万人を大きく割り込む状態であった[15]。起終点の立地もさることながら、「タクシーの方が安かった」[16]といわれたような、姫路 - 手柄山間が100円という、平行する山陽電鉄の姫路 - 手柄間の数倍[17]にも及ぶ高額な運賃の影響が大きかった。営業係数は開業した1966年で195、翌年以降は400を超える水準で推移し、毎年1億円あまりの資金が姫路市の一般会計から投入される[10]という有様で、一部の市民からは市の「お荷物」とまで言われたという。
ということで廃線になったんですね。
現在と違って夢があって行け行けドンドンな時代だったんでしょう。
杜撰な計画でも、とりあえずやってしまえ!という勢いを感じます。
さて、家族旅行の目的は姫路博ですね。
しかも姫路博は1966/4/6~6/5の2カ月足らず、
モノレールの開通は5/17ですから半月足らずのどこかですね。
その割には人は多くなかったような記憶があります。
姫路モノレールで検索すると当時の写真が出てきました。
ここです。ジャーン。その名も「大将軍駅」
夢の通りです。
姫路駅は仮設の駅だったらしくたぶんここまで歩いて乗ったんだと思います。
また終点の駅「手柄山駅」
まさに未来都市のような作りです。
姫路大博覧会にも当時としては未来的な出展が多いですね。
姫路大博覧会 WIKI参照
特に気になったのはこれ
・交通科学館
国鉄、日本航空が主となる未来の交通を展示するパビリオン。
当時姫路にはまだ延伸していなかった新幹線と
当時の最新鋭ジェット旅客機ボーイング727の模型が展示されていた
・回天館
人間魚雷回天を展示した慰霊パビリオン
・海底探検館
実物の潜水艇が展示されていた
・宇宙館
ラムダロケットおよびジェミニ宇宙船が展示されていた
・主な展示物
* F-86 (戦闘機)
* 61式戦車
* M4中戦車
* M24軽戦車
* ナイキミサイル
* 自衛隊の兵器の他に三式戦闘機 飛燕が展示された。
未来の乗り物と過去の乗り物が混在しています。
人々がまだ軍事にアレルギーがなかったということがわかります。
まだ○○組の教育が行きとどかなかったんでしょうか?
今では平和的な博覧会に兵器なんか考えられませんね。
これですね。海軍喫茶が好きだった親父が見たかったのは~
家族旅行は口実ということということが判明しました。
血は争えない。
うん納得・・・
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