2009/10/05 ●御雇外国人 ベルツ
サッカー観戦に東大に
今回は赤門からではなく、上野池の端~岩崎記念館~東大病院のルートで
東大御殿下グラウンドへ
グラウンドの横にはなにやら胸像が
後で調べてみたらこのお二人でした。
向かって左がエルヴィン ベルツ(Erwin Baelz)、右がユリウス スクリバ(Julius Scriba)
お二人とも明治政府が招聘したいわゆる御雇外国人です。
ベルツは内科、スクリバは外科のお医者様で東大医学部の前身、東京医学校で教鞭をとられたドイツ人です。
詳しくはWIKIをご覧ください。
特にエルヴィン ベルツは明治9年から27年にわたり日本で医学を教え
東大退官後は宮内省侍医も勤められました。
森鴎外の恩師でもあります。
この方は医学以外でも有名で
草津温泉を世界に紹介し
箱根富士屋ホテルゆかりのベルツ水でも知られています。
また、日本美術・工芸品の収集家でもありました。
超急速に近代化を進めていた当時の日本に先進国からやってきてどんな気持ちで過ごしたのでしょうか?
交通手段や通信手段の発達している現代でさえ抵抗を感じるのが当たり前なのに
いくら高給で雇われているとはいえ尋常な人ではつとまらないでしょう。
日本を愛してくれただけでなく、日本人もいい生徒であったに違いありません。
ベルツは当時の日本知識人たちについて以下の言葉を残しています。
不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去についてはなにも知りたくないのだ。それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。「いや、なにもかもすべて野蛮でした」、「われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです」という日本人さえいる。このような現象は急激な変化に対する反動から来ることはわかるが、大変不快なものである。日本人たちがこのように自国固有の文化を軽視すれば、かえって外国人の信頼を得ることにはならない。なにより、今の日本に必要なのはまず日本文化の所産のすべての貴重なものを検討し、これを現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと慎重に適応させることなのだ。
ごもっとも!
日本人は100年たって意識と実行力でやっとベルツ先生に追いついたんですね。
今回は一眼レフ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
医学部図書館の駐車場でごろごろ 気持ちのいい初秋の夕方でした。
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