2009/02/01 ●中国海軍500年ぶりの海軍遠征
ソマリアに海自を出す出さないと国会で議論(?)している昨今、突然飛び込んできたニュース
鄭和以来500年ぶりの海軍遠征、ソマリアへの艦艇派遣へ―中国
http://www.recordchina.co.jp/group/g26832.html
慣れない遠洋航海で船酔いと故障続出、特殊部隊は趣味と実益を兼ねてイワツバメの巣をとろうとベトナム沖で訓練。さらに分け前をめぐって艦内で暴動発生!寄港地で水兵の大半が脱走。。。なんてことになったらおもしろいな・・・なんて失礼なことを考えていたら
出航後に船酔い続出―ソマリア沖に出動の中国軍艦で
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0107&f=politics_0107_007.shtml
やっぱり・・・でも
中国海軍:海賊に襲われたギリシャ船救助―ソマリア沖
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0130&f=politics_0130_002.shtml
ミサイル駆逐艦「武漢」
旅洋I級駆逐艦
052B型駆逐艦(ルヤンI型/旅洋I型)
搭載ヘリはたぶん
Ka-28対潜ヘリコプター(ヘリックス)
日本はなにをやってんだろ・・・
さて、今回は鄭和です。
14世紀 明 永楽帝代に大艦隊を率い、ソマリアあたりまで航海した宦官です。
ちなみに↓こんな人(想像図)
世界史で習いましたが詳しくはWikiを 簡単に私なりの解釈をすると 鄭和は元代雲南あたりに生まれた少数民族であるイスラム人(色目人)で漢民族にさらわれて北京あたりに連れていかれ、生きるために宦官にされ(自発的に?)永楽帝に仕えるうちに武功を買われて取り立てられ、中華はエライということを西アジア諸国(当時はシンガポールの西は西洋といったらしい)に示すべく、大艦隊を率いて休みなく動き回ったヒトです。 そのころの明は余裕があったんですね。皇帝の徳を示すために何回も鄭和は派遣されましたが、国内反乱、モンゴルの脅威などの対応で余裕がなくなり、中止になりました。 ヨーロッパの国々の大航海時代に先駆けること約70年、当時の中国はすごかった!中国発明の羅針盤を用い大型ジャンクで大航海をしたんですから・・。しかしそこはやはり中国、当時の大型帆船建造のノウハウ、航海のノウハウ、膨大な貴重な記録は遠征に反対する宦官によって焼かれたそうです。残ったているのはキリンの絵などの吉兆を示すものなど。為政者に都合の悪いことは消し去るのみ!知識が蓄積され、国民レベルで発展することが少ないのは、今も昔も変わらないということでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E5%92%8C
主な仕事は、行った先で「中華(オレ)サマはエライ、オレ様には金も武力もあるぞ、オレサマがオマエをこの土地の王様として認めてやる。受け入れたら、外敵から守ってやるしオマエの土地でとれる珍しいものを持ってこい。持ってきたら倍返し以上のものをやる」と交渉してくることです。
記録が残ってたらな~(あくまでもちゃんとした記録ですが・・・あ、すいません中国でした)
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