古の奇橋と近代水路橋

~チョイとではできない技術力~

昇亭北壽: - Richard Kruml

昇亭北壽 出展:浮世絵検索


中央道を行き来していると気になる「猿橋」バス停。
「猿橋」は「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつとのこと。最寄りのJR猿橋駅から徒歩で行けるらしいので休日午後に出かけてきました。

中央特快大月行きで八王子、高尾、相模湖、上野原と過ぎ終点手前の猿橋駅。高尾を過ぎるとほとんどの人は下車し、すっかり旅気分。ローカル線みたく山の中を進んでいきます。猿橋駅で下車した人は二人だけ。交通量はあれど寂れた甲州街道沿いを歩いて10分程度で到着です。え、ここ?と思うくらい人がいません。肝心の猿橋は深い渓谷にかかる普通の橋で、とても錦帯橋と並ぶ橋には見えません。

ところが橋の下から見上げると確かに「奇橋」。橋桁の下に屋根がついているような不思議な造形です。最初の建造は伝説では古代・推古天皇610年ごろ(別説では奈良時代)とのこと。大昔ですね。
この形式は刎橋(はねばし)という橋脚をつかわない技術らしい。Wikiから引用すると「刎橋では、岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させる。その上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせる。支えを受けた分、上の刎ね木は下のものより少しだけ長く出す。これを何本も重ねて、中空に向けて遠く刎ねだしていく。これを足場に上部構造を組み上げ、板を敷いて橋にする。猿橋では、斜めに出た刎ね木や横の柱の上に屋根を付けて雨による腐食から保護した」とあります。
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私の理解では「南京玉すだれ」を両方から延ばし上に板をかけた感じでしょうか。
「チョイと伸ばして チョイと伸ばせば甲斐の猿橋♪できあがり」(猿橋さんごめんなさい)
とにかく深い谷で橋脚も使えず吊り橋も困難な場所に刎橋をかけてしまう。その実用性はもちろん渓谷美とあいまって江戸時代には景勝地になっていく。まさしく「奇橋」ですね。

猿橋観光は10分くらいで終了ですが、もう一つの「奇橋」をすぐ隣に発見。
レンガ造りの「八ツ沢発電所一号水路橋」。猿橋の隣に建設されたアーチ式の水路橋です。ものすごい水量が崖のトンネルから橋を越えて対岸の崖のトンネルに吸い込まれていきます。
こちらは明治時代につくられた発電所施設で重要文化財に指定されています。

文化財オンラインによると
八ツ沢発電所施設は,桂川にほぼ平行して東西に延びる水路式発電所施設である。東京電燈株式会社が第二水力電気事業の一環として建設したもので,明治43年に着工,大正3年の大野調整池の完成をもって全体が竣工した。建造物は,取水口施設,第一号から第一八号の隧道,第一号開渠,第一号から第四号の水路橋,大野調整池施設,水槽余水路などで,約14kmの範囲に現存する。取水口の沈砂池や隧道は,土砂流入防止等を意図して長大な規模で築かれる。第一号水路橋は大支間を実現した初期鉄筋コンクリート造橋梁であり,大野調整池堰堤は大正期を代表する大規模土堰堤の一つである。八ツ沢発電所施設は,大規模調整池を有するわが国最初期の本格的水力発電所施設であるばかりでなく,類型の異なる複数の構造物に高度な建設技術が発揮されており,土木技術史上,高い価値がある。わが国の重要文化財のなかで、最大規模となる。
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猿橋とともにこちらも立派に現役。我が国の技術力とメンテナンス力を示す素晴らしい実例ですね。

帰りの電車は行楽客が多く座れません。特急待ち合わせもありかなり時間もかかりましたが、交通情報で見ると中央道は大渋滞。ざ〇ミロと電車の優位性を感じた遠征徘徊となりました。

PS:後で知ったこと
JRが開発した新興住宅地「パストラルびゅう桂台」(JR中央線沿線の駅徒歩5分)
猿橋駅とを結ぶ「シャトル桂台(モノレール)」の廃止、代替エレベータ

そそられます(笑