御用といえば 幕府測量方

~伊能忠敬記念館~

ラランデ暦書管見

ラランデ暦書管見(伊能忠敬記念館蔵)


ふと思い立ち未踏の地へ 鉄分弾丸ミニマム旅行。
早朝電車を乗り継ぎ、千葉県香取市・佐原にある「伊能忠敬記念館」へ行きました。

山手線~総武本線~成田線と乗り継ぎ約2時間半。到着した佐原は“小江戸”とも呼ばれ、利根川の舟運で栄えた江戸情緒あふれる街。
昭和の街並みを抜け、整備された川沿いに進むと到着しました「伊能忠敬記念館」。ここでは、忠敬が測量に使った道具や、彼が描いた精密な地図などが展示されています。

記念館の中に足を踏み入れると、そこには忠敬の遺した測量記録。日本国中一歩一歩を確実に積み重ねた精緻で膨大な記録の山でした。
正式な幕府の命を受けた事業であることを示す「御用」の旗から、測量で回った各地の風景、測量器具の数々。そして多くの記録文書。中には綺麗な和製本のノートもあり細かい文字が筆でびっしりと書かれています。

文書の中で目を奪われたのが、忠敬が愛読したラランデの天文書(『天体暦』)の和訳写本。フランスの天文学者ラランデによるこの著作は、忠敬が江戸で天文学を学ぶ際、師(17歳下)である天文方高橋至時と共に用いたものでした。
彼らは西洋の天文学を吸収し、それを日本の暦や測量に応用するという、当時としては極めて先進的な研究と実務を行っていたのです。

この一冊から、日本の地図が世界水準へと近づいた──そんな背景を思いながら、ガラス越しのページを見つめました。 忠敬と高橋至時が西洋天文学を用いて作り上げた伊能図。それは後に、シーボルト事件という国際的スパイ事件をも引き起こす、極秘資料になります。

忠敬はその地図の完成を見ることなく亡くなりますが、その偉大さは、隠居するまで過ごしたこの佐原の地に息づいていると感じました。

滞在時間約1時間半。帰りは記念館で購入した伊能忠敬図録を眺めつつ成田線~京成線~山手線とコースを変え15時前には到着。一人だから行けたけど連れ合いがいると無理だねこりゃ。(無理な理由は察してください(笑;

伊能忠敬記念館
https://www.city.katori.lg.jp/sightseeing/museum/

展示品一覧
https://www.inoh-ken.org/tayori/20221005/tenji.pdf

ラランデ暦書
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%87%E6%9A%A6%E6%9B%B8